葬式は要らないか
不需要葬禮嗎

社会部デスク 若江雅子

社會部總編輯 若江雅子

日本の葬式は諸外国に比べて格段に費用が高いといわれる。
據說日本的葬禮費用和各國相比昂貴許多。

日本消費者協会の2007年の調査では、葬儀費用の全国平均は231万円。このうち、お布施など寺に払うものは55万円にのぼるという。戒名に至ってはランクごとに料金が違う。肉親を失った数日後、「『○○信士』を『○○居士』にすると10万円アップしますが、どういたしましょうか」などと提案されたら、うんざりしてしまうだろう。島田裕巳氏の近著「葬式は、要らない」(幻冬舎新書)が売れているのも、葬儀にまつわる不透明さに対する現代人の不満の現れともいえそうだ。
根據日本消費者協會在2007年的調查,全國平均的葬禮費用是231萬日圓。在這之中,布施等納給寺廟的金額就高達55萬日圓。至於法號的價錢會隨著“等級”不同而改變。失去血親後過幾天,有人來提議「將『○○信士』升等成『○○居士』的話,費用要增加10萬日圓,您意下如何呢?」等等的話,一定感到相當厭煩吧。島田裕巳先生的近期著作「不需要葬禮」(幻冬舍新書)會暢銷,也可以說是現代人對於葬禮中不透明的部分感到不滿的表現。

不透明な料金体系、葬儀会社に丸投げの画一的で空々しい進行。そんな葬儀の形からの脱却を目指す僧侶たちがいる。
不透明的費用體系,全權委託給葬儀公司規格化空虛地辦事。目前,正有些僧侶想打破這樣的葬禮形式。

中心となって活動しているのは、宮城県登米市にある玉秀寺の佐竹孝喜住職だ。今年1月から、生活に困っている人たちを対象にした相談窓口を設け、無料で供養したり、自治体などの支援制度を教えたりしている。ほかにも、お経を現代の言葉に置き換えて読んでみたり、お経の意味を紙にしたため参列者に 配ったり。「葬儀は亡くなった方の供養だけでなく、残された人々の悲しみを癒やす作業でもある」と佐竹さんは言う。「その本来の意義を取り戻したいのです」
成為中心人物展開活動的,是宮城縣登米市玉秀寺的佐竹孝喜住持。該寺從今年一月開始,設置以生活上感到困頓的人為對象的談話窗口,免費供養他們,提供他們自治團體的支援制度。在此之外,還會將經文譯成白話朗讀,或發給出席葬禮的客人們紙張,上面寫著經文的意涵。「葬禮不僅僅是供養過世的人,同時也要治癒被留下來的人的悲傷。」佐竹住持這麼說。「我想要重新找回這最根本的意義。」

佐竹さんの話を聞いていて、天童荒太氏の小説「悼む人」(文藝春秋)を思い出した。
聽著佐竹住持所說的話,我想起天童荒太先生的小說「陌生的憑弔者」(文藝春秋)。

主人公の青年は日本中を旅しながら、各地で亡くなった人を「悼む」ことを続ける。その人が亡くなった場所でひざまずき、その人が生きていたこと、そして亡くなったことを胸に刻む。風変わりなその青年がこだわるのはただ、故人が誰に愛され、誰を愛した人だったか、どんなことで人に感謝されたか――。
主角青年在日本旅行,憑弔在各地死亡的人。跪在那人死去的地方,將他曾經活過、以及他死去的事烙印在心裡永不忘懷。性情易於常人的這位青年所堅持的,只不過是死者被誰所愛、又愛過什麼人,因為什麼事而被人感謝過——。

主人公の行為に胸を打たれたのは、葬送の原形がそこにあるような気がしたからかもしれない。肉体がこの世から消えても、周囲の人の心に生の記憶が刻まれている限り、その人は「生きている」といえるのではないか。葬式が、故人の生涯を映し、その生を残された者の心に残す場となるならば、「葬式が、要らない」とは、誰も思わなくなるだろう。
主角的行為感動我的原因,或許是我覺得那才是送葬的原始形式。即使肉體從這個世界消失了,只要在周圍的人心中還刻畫著活著時的記憶,那就可以說是那個人「還活著」吧。葬禮若能成為照映出死者的一生、他的生命將殘留在被留下的人心中的場所,誰也不會認為「不需要葬禮」了吧。

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